海原優騎の日記とか

日記とか思いとか散文とか

なんで物語を作るのか。

僕は物語を作ることが好きです。
特に、文章や全身で物語ることが好きです。

さて、物語を作ることで何を得ることができるのでしょうか。
第一感で思ったのは以下のことです。

①自分が物語の一部として機能していることを実感できる
②同じ目線で作った物語を後に他者と語らうため

①について。
人間は‘世界‘という‘物語‘の中を生きているかけがえの無い存在です。
しかしながら、最近その‘世界‘が広すぎて、自分がその一部であることを実感しづらく思います。

例えば、3歳くらいのころは空間的に家の中が世界の全てだったし、関係性も家族が世界の全てでした。
小学生になると、空間は学校までにおよび、同い年の友人のみならず先輩や後輩も関係性の内に入ってきます。

さらに、年月が経ち、大人になると世界が文字通り自分の‘世界‘になりえます。
なぜなら、時間とお金があればどこの空間にだって(本当に際限なく)赴けるし、その気になれば世界中の誰とでも(少なくともインターネットが使える範囲であれば)関係が築ける。

‘世界‘はこんなにも開けているのに、自分はほとんどの部分で関与できない。

そう思うと、どうにも機能している気がしなくなって、世界に自分は要らないように感じます。

そんな時、自分で‘物語‘を作ると自分がかけがえの無い存在だという実感を取り戻すことができます。

自作の‘物語‘には当たり前に自分を必要不可欠だと感じられるし、数人での共作であれ、特定多数である以上、やはり自分の存在を重要と思えます。

子供の頃、‘世界‘がまだ手の届く範囲にしかなかった頃を思い出すために

僕は物語るのだなとなんとなく、今は思っています。

②は疲れたのでまた今度。

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