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パンケーキ熊

僕の友人の話をしよう。パンケーキ熊の話。

パンケーキ熊が家に来るようになったのはある6月1日のことだった。以降、毎朝訪れるようになった。

彼はいつも僕の睡眠を邪魔せぬように静かに家に入って来る。静寂の中でパンケーキを作り、コーヒーを入れて、スマホの目覚まし(AM 8:00)が鳴り僕が目を覚ます頃には洗い物を終えて、寝ぼけ眼の僕に一瞥して帰っていく。

ちなみに何故パンケーキ熊のことを彼というか。もちろん、熊の性別なぞ一見しても分からないが、僕は彼と友人になりたいと思っている。なので、僕は雄だと認識しようとしている。異性同士の友情は成り立たないから。

驚かれるかもしれないが、最初から僕は彼を受け入れていた。彼に合うときは僕が寝起きだったからだろう。それに別段、なにか悪いことをしていくわけではないし、むしろ僕に朝食を食べる習慣を与えてくれたのでただただ感謝である。しかも、材料は自ら持ってきているらしく、調理後に減っているのはインスタントコーヒーの素ぐらいである。

もちろん、ただただ一方的に奉仕されているのは心持ちが悪かったので、ある時から台所に蜂蜜に瓶を置くことにした。しかし、最初は一切手を付けてくれなかった。なので、次は蜂蜜の瓶を蓋を開けて置いてみた。これでも彼は手を着けなかった。今度は、蜂蜜の瓶にスプーンを入れておき隣にスプーンを拭く用の布巾も用意しておいた。するとようやく蜂蜜に手を着けた形跡があった。

丁寧にスプーンは洗われ、布巾はゆすがれていた。

彼はどうやら遠慮がちな性質らしい。

彼が家に来るようになって3ヶ月の月日が経ったある9月に、ふと彼の一部始終を見届けたいという好奇心が沸いてきた。

何故、今までそのような気が起きなかったのか自分でも甚だ疑問ではあるが、まあ秋だしな、熊だしな、パンケーキだしな、と適当に納得した。

ただし、見届けようにも起きて待っているのは忍ばれる。なぜなら、彼にとってパンケーキ作りというものがどのような立ち位置の行為に属すか図りかねるものだったからだ。

もしかしたら、儀式的な行為かもしれない。その場合、僕がそこに存在することが儀式を壊す要素になりかねない。

可能性の話だが、『人』が『寝ている』そばで『熊』が『パンケーキ』を作ることに重大な意味があるかもしれない。例えば世界平和とか。

そんな勇気は僕にはない。

よって僕は寝たふりをして彼を迎え入れることにした。もちろんこれも儀式を壊しかねない行為であることは重々承知であるが、見たいという好奇心を殺すことはできないので、これが僕の中で色々考えた末の落とし所だった。

これで世界が荒れても仕方がないとしよう。僕はがんばった。

さて、前日の夜から布団の中で寝たふりをしながら彼を待った。本を読んだり、ラジオを聞いたり、昔のことを思い出したりととても充実した寝たふりだった。

AM 6:00になると彼は玄関の扉を開けてやって来た。そういえば、戸締まりをしているのにどうやって入ってくるのかと疑問を持った時期もあったが、入ってくると時に鍵を開けた様子がないことから、どうやら彼は鍵という概念のない存在らしい。

便利だな。

パンケーキを作る過程の一部始終を見ていていくつか気づいたことがあった。

一つは、彼はやはり熊であるということだ。着ぐるみとかではなく、熊。動物園で見た熊である。

一つは、材料は抱えて持ってきているということだ。腕には卵が2個と白い粉の入った布の袋が1つ、牛乳瓶が1つ、メイプルシロップが1つ、バターが一欠片が抱えられていた。

一つは、蜂蜜は丁寧なパンケーキ作りが終わり洗い物を済ませたあとに食されるということだ。律儀に手を合わせ一礼をしてから、スプーンの端で少しの蜂蜜を掬い舐めとり吟味していた。

彼が家を出ようとした時、僕は衝動的に彼へお礼を言いたくなっていた。この3ヶ月のお礼を。前に思っていた、儀式を壊すかもしれないという考えはこの時はどっかにいっていた。

がばっと起き上がる。彼と目が合う。彼は少し驚いたような顔をしていた。熊でも驚いた表情はするんだなと、僕も少し驚いた。

「いつもパンケーキを作ってくれてありがとう」

僕は言った。

「いえ、ぼくがつくっていたのはホットケーキです」

彼は応えた。

彼はホットケーキ熊だった。